両利きの経営とは?富士フイルム等の成功事例と2026年実践法
既存事業の売上維持に追われ、新規事業の立ち上げが形骸化してしまう――多くの企業が直面するこの構造的停滞を打破する理論として、経営陣や事業開発担当者の間で定着したのが「両利きの経営(Organizational Ambidexterity)」です。スタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授とハーバード大学のマイケル・タッシュマン教授によって体系化されたこの経営戦略は、急速な事業環境の変化や生成AI活用が標準化した2026年現在のビジネスシーンにおいて、企業の生存と持続的成長を決定づける最重要フレームワークとして再評価されています。
本稿では、「両利きの経営」の基礎理論から、富士フイルムをはじめとする歴史的成功企業の分析、さらには多くの日本企業が「知の探索」で失敗してしまう根本原因と2026年最新の実践手法まで、現場目線と学術的知見を交えて徹底的に解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:両利きの経営とは、既存事業を磨き上げる「知の深化」と、未来の事業機会を発掘する「知の探索」を高い次元で両立させる経営戦略である。
- 要点2:富士フイルムの事業転換に代表される成功の鍵は、既存技術の徹底的な再定義と、探索部隊を既存の評価基準から切り離す組織設計にある。
- 要点3:失敗の多くは「サクセストラップ(成功の罠)」と組織内の心理的分断に起因しており、2026年のDX時代にはリーダーシップによる共通ビジョンの提示とデジタル基盤の共有が不可欠となる。
【基本解説】今さら聞けない「両利きの経営とは」?知の探索と知の深化をわかりやすく整理
「両利きの経営」を一言で要約すると、右手で「既存事業の効率化と改善」を進めながら、左手で「新規事業の創出と実験」を同時に行う組織運営の手法です。利き手だけでなく、両方の手を自在に使いこなすように組織を動かすことから名付けられました。
経営学において、この2つの活動は「知の深化(Exploitation)」と「知の探索(Exploration)」という概念で厳密に区別されています。
知の深化とは、自社がすでに持っている知識や技術、顧客基盤を徹底的に深掘りし、生産性の向上、コスト削減、既存製品の改良を積み重ねていく活動です。短期的かつ確実に収益を生み出せる反面、市場環境が激変した際には過去の成功体験が足かせとなるリスクを孕んでいます。
対する知の探索は、既存の枠組みを飛び越え、未知の技術、新たな市場、異なるビジネスモデルを探求し、試行錯誤を繰り返す活動です。不確実性が高く、短期的には赤字を垂れ流す可能性が高いものの、企業の将来を担うイノベーションの種を蒔くために欠かせません。
経済産業省の産業構造審議会や各種ビジネス調査でも繰り返し指摘されている通り、日本企業の多くは「知の深化」に過度に偏重し、効率性を極限まで高めた結果、非連続なイノベーションを起こせなくなる「イノベーションの停滞」に苦しんできました。両利きの経営は、この深化と探索のバランスを構造的に保つための処方箋となります。
クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」との決定的な違い
経営戦略を語る上で避けて通れないクレイトン・クリステンセン教授の『イノベーションのジレンマ』と、オライリー教授らの『両利きの経営』は、問題意識を共有しながらも「提示する解決策のスコープ」が異なります。
『イノベーションのジレンマ』は、優良企業が既存顧客の要望に真摯に応え、高品質な製品を作り続ける(=深化を続ける)がゆえに、低価格で粗削りな「破壊的イノベーション」をもたらす新興勢力に敗北する構造的メカニズムを解明しました。この理論では、既存企業が自ら破壊的事業を起こす難しさに主眼が置かれています。
一方、『両利きの経営』はそのジレンマを前提とした上で、「既存の主力事業でキャッシュを稼ぎつつ、同時に破壊的事業を同一企業内で育てるにはどのような組織構造とリーダーシップが必要か」という、具体的な実践論と組織デザインの回答を提示している点に決定的な違いがあります。

【データ比較】「知の深化」と「知の探索」の特徴・評価基準・組織設計の決定打
両利きの経営を現場で実現する上で最大の障害となるのが、深化と探索では求められる企業文化、評価尺度、行動原理が正反対であるという事実です。両者の性質を整理した比較データは以下の通りです。
| 比較項目 | 知の深化(既存事業の強化) | 知の探索(新規事業の創出) | 編集部の見解・分析 |
|---|---|---|---|
| 主たる目標 | 効率向上、コスト削減、短期〜中期の収益最大化 | 新市場の開拓、不確実性の検証、長期成長の布石 | 目標の時間軸が根本から異なる |
| 評価指標(KPI) | 売上高、営業利益率、ROI、歩留まり率、納期遵守 | 仮説検証数、プロトタイプ構築速度、市場学習率 | 探索部門に既存の財務KPIを適用すると即死する |
| 組織風土・行動様式 | 規律、正確性、リスク回避、連続的改善 | 自律性、柔軟性、実験と失敗の許容、越境思考 | 同一フロア・同一基準での共存は摩擦を生む |
| 2026年最新のDXアプローチ | 業務自動化、AIによるサプライチェーン最適化 | 生成AIを活用したPoCの高速化、新規事業検証 | テクノロジー投資の目的を明確に分離することが肝要 |
【成功事例に学ぶ】富士フイルムが写真市場消失からV字回復を遂げた組織戦略の全貌
日本企業における両利きの経営の金字塔として、世界中のビジネススクールで研究され続けているのが富士フイルムホールディングスの事業構造転換です。
2000年代初頭、デジタルカメラの台頭により、同社の営業利益の大半を稼ぎ出していた写真フィルム市場は急速に縮小。最盛期からわずか数年で需要の約9割が消失するという、文字通り破滅の危機に直面しました。
当時、米国の競合であったイーストマン・コダックがフィルム事業への固執(=過度な知の深化)から抜け出せず、2012年に経営破綻へ追い込まれたのに対し、富士フイルムは「自社のコア技術の再棚卸し」と「非連続な市場探索」を断行しました。
同社が取った戦略は、写真フィルムの主成分である「コラーゲン研究」「ナノテクノロジー」「抗酸化技術」という既存の深化された知見を抽出し、全く異なる市場であった「化粧品(アスタリフト)」や「ヘルスケア・医薬品・バイオCDMO事業」へと大胆に接続(探索)することでした。
当時の経営トップであった古森重隆氏らは、既存事業の縮小に伴う痛みを伴うコスト構造改革(深化側の効率化)を迅速に進めつつ、得られたキャッシュフローを巨額の医療・バイオ分野への研究開発投資とM&A(探索側の強化)へ投入しました。2024年から2026年に至る決算発表資料を見ても、同社のヘルスケア部門は売上の主軸へと成長しており、写真フィルム事業の消失を乗り越えた「両利きの経営の実践モデル」として揺るぎない実績を残しています。
富士フイルムの勝因は、単に新規事業を探したことではなく、「自社の既存技術を抽象化してコアコンピタンスを見極め、それを全く別の市場ニーズと結びつける探索力」にありました。

なぜ多くの企業は「知の探索」で失敗するのか?陥りがちな罠とデメリット・批判
両利きの経営という概念が広く浸透しているにもかかわらず、なぜ多くの日本企業は知の探索で頓挫してしまうのでしょうか。そこには組織構造と心理的バイアスに根差した「3つの致命的な罠」が存在します。
1. サクセストラップ(成功の罠)の心理的引力
企業が最も陥りやすいのが「サクセストラップ」です。既存事業の成功体験が強い組織ほど、短期的に予測可能で利益が出やすい「知の深化」に経営資源(人材・予算・時間)を無意識に集中させてしまいます。成功確率が1割未満である「知の探索」は、四半期ごとの業績評価において非効率とみなされ、予算削減の標的になりやすいのが実情です。
2. 探索部門の孤立と「社内レジスタンス」の発生
新規事業部隊を別組織として立ち上げたものの、既存事業部門との間で深刻な対立が生じるケースが後を絶ちません。社内コミュニティや現場ヒアリング調査でも、次のようなリアルな生の声が散見されます。
- 「既存部隊が汗水流して稼いだ利益を、成果の出ない新規事業室が好き勝手に浪費している」
- 「新規事業側が『イノベーティブで優秀』、既存側が『レガシーで保守的』という不要なヒエラルキーが生まれ、現場の士気が落ちた」
このような組織内の感情的摩擦や心理的断絶を放置すると、新規事業が既存事業の販売網や顧客データを活用できず、探索活動そのものが立ち行かなくなります。
3. 両利きの経営に対する批判と現実的デメリット
学術界や実務家の一部からは、両利きの経営に対する現実的な批判やデメリットも指摘されています。最大の問題は「二重投資による経営資源の分散」です。特に体力の限られた中堅・中小企業が、中途半端に探索と深化を両立させようとすると、どちらの事業も中途半端になり競合に競り負けるリスクがあります。また、両利きの組織を率いる経営陣には、矛盾する2つの評価体系を同時にマネジメントする極めて高度なリーダーシップが要求されるため、マネジメント層の育成難易度が極端に高い点も課題として挙げられます。
【実態検証】新規事業と既存事業を両立させる実践法と組織マネジメントのコツ
では、これらの罠を回避し、現場で両利きの組織を機能させるには具体的にどうすればよいのでしょうか。成功企業の実践から導き出された実践手法は以下の3点に集約されます。
手法1:構造的分離と「経営トップ直結ライン」の確立
オライリー教授らが提唱する最も確実なアプローチは、深化を担う事業部と探索を担う新事業部門を物理的・組織的に切り離す「構造的分離(Structural Ambidexterity)」です。探索部門には、既存の稟議ルートやROI評価を適用せず、経営トップ直結の専任チームとして配置します。これにより、既存事業の論理によるイノベーションの握りつぶしを防ぐことができます。
手法2:事業部間の「共通ビジョン」とアイデンティティの統一
組織を分離するだけでは単なる分断に終わります。重要なのは、深化部隊と探索部隊の双方が「自分たちは何のために存在しているのか」という上位の存在意義(パーパス)を共有することです。「既存事業は現在の生活を支え、新規事業は未来の生存を創る」という相互補完的なリスペクトの文化を経営陣が発信し続けなければなりません。
手法3:2026年最新 DX時代の生成AI基盤による探索サイクルの短縮
2026年現在の競争環境において最大のレバレッジとなるのが、デジタル技術と生成AIの戦略的活用です。従来であれば数千万円の予算と半年以上の期間を要していた市場調査、プロトタイプ構築、アイデア検証(PoC)が、社内データを統合したAI基盤を活用することで数週間、数分の一のコストで実行可能になりました。探索の「試行回数」を劇的に増やすことで、知の探索に伴う財務リスクを最小化することが可能です。

【プロの結論】両利きの経営を導入すべき企業・見送るべき企業の明確な判断基準
両利きの経営は、すべての企業にとって無条件の万能薬ではありません。企業の発展ステージや保有する経営資源によって、適用すべきタイミングを見極める必要があります。
導入を推奨できる企業
- 既存事業で安定したキャッシュフローを生み出している成熟企業:探索活動に必要な投資原資と、失敗を吸収できる財務的余力がある。
- 主力製品の市場縮小や技術的陳腐化が5〜10年後に予測されている企業:富士フイルムのように、事業ポートフォリオの再構築が生存の必須条件となっている組織。
- 経営トップに変革への明確なコミットメントと、社内摩擦を調停する覚悟がある組織。
慎重に検討・見送るべき企業
- 創業初期のスタートアップや単一プロダクトのPMF(プロダクトマーケットフィット)前の企業:経営資源を「知の深化(単一事業の確立)」に100%集中すべきフェーズであり、探索への分散は共倒れを招く。
- 既存事業の赤字が常態化し、キャッシュ残高に余裕がない企業:まずは既存事業の選択と集中、リストラによる財務基盤の健全化が先決である。
【両利きの経営とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:知の深化と知の探索にかける経営資源(人員・予算)の理想的な比率はありますか?
A1:一般的に、安定的成長を維持するグローバル企業では「既存事業(深化)に70%〜80%、隣接領域への展開に15%〜20%、非連続な新規事業(探索)に5%〜10%」という「70:20:10の法則」が一つの目安とされています。ただし、業界の変化スピードや自社の危機レベルに応じて、探索の比率を柔軟に引き上げる判断が必要です。
Q2:リソースが限られる中小企業でも両利きの経営は可能ですか?
A2:可能です。中小企業の場合は、部署を分ける「構造的分離」ではなく、従業員一人ひとりが日々の業務の中で深化と探索の時間を使い分ける「文脈的両利き(Contextual Ambidexterity)」や、外部企業・大学とのオープンイノベーションを活用して探索コストを抑えるアプローチが有効です。
Q3:知の探索を担う人材にはどのような資質が求められますか?
A3:高い知的好奇心と不確実性を楽しむ耐性に加え、異なる分野の知識を結びつける「越境力」、そして何より失敗から素早く学習して仮説をピボット(転換)できる柔軟性が求められます。社内の既存エース人材とは異なる行動特性を持つ人材を登用することが成功の鍵です。
まとめ:2026年以降を生き抜く両利きの組織づくりへ
激動の市場環境が続く2026年において、既存事業の最適化だけに安住する企業は緩やかな衰退を免れません。かといって、足元の収益基盤をないがしろにした無謀な多角化は組織を危機に陥れます。
「知の深化」で現在の果実を確実に収穫しながら、「知の探索」で未来の種を蒔き続ける――この二律背反を組織構造と経営の意志によって乗り越えることこそが、両利きの経営の本質です。自社の強みを再定義し、失敗を恐れず試行錯誤を繰り返す組織風土を築くことが、次の10年を切り拓く唯一の道となります。 (出典: 両 利き の 経営 と は(Yahoo!ニュース))